マーケティング倫理についての視点

■経済活動の本質
「豊かさを実感できない」とか「昔の方が豊かだった」はよく聞くセリフである。今と10年前を比べてみる、いや、100年前と比べてみると今の方が確実に経済的には豊かである。しかし、心理的な満足感はどうも一致しない。便利なモノはある、楽しいコトもある、それらの多くはお金で入手できる。もちろん、全部ではない。しかし、その選択肢と利用可能性は遥かに増えたことは確かだろう。


これは非常にシンプルな原理で成り立っているのである。経済が成長するということは人や人々のニーズが発見され、これが新たな新商品や新サービスで埋められていくことである。ニーズが発見されるということは、気にしていなかった、または、我慢できていた潜在的な欲求が喚起されることに他ならない。つまり、不満や不安や不足感に気が付いてもらうことが経済成長には不可欠な構造を持っているのである。


携帯電話がなくても生活に疑問はなかったが、「いつどこでも個人と個人が連絡できる状態って便利=いつどこでも個人と個人が連絡できない状態って不便じゃないですか?」が成立するとニーズが顕在化され、消費行動につながり、経済的な豊かさが増加するのである。豊かさは枯渇と充足によって成立しているコインなのである。つまり、経済成長信仰は豊かさを導くが、その実感は常に不足したものを要求するのである。


■マーケティングの暗黒面
さて、この潜在ニーズを探り、顕在化させることはマーケティング活動において重要な要素である。よって、マーケティングとは枯渇感の喚起→充足感の提供→豊かさというラベル貼りを反復する嫌な奴となる。・・・が、この暗黒サイドの存在は認めるとして、マーケティング・コンサルタントとしてマーケティングをかばうとすれば(笑)、これはマーケティングの問題ではなく、人間の欲求の問題なのである。


人の欲求はマズローの欲求段階で説明するなら生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、自己尊重欲求、自己実現欲求の5段階に分類され(チャート参照)、低次の欲求から高次の欲求に向かうものと想定している。この5段階区分には他の区分けも存在するので、数字には関与しないが、ここで重要なのは低い段階から高い段階への方向性としての成長欲求の存在である。


生理的欲求→安全欲求→社会的欲求→自己尊重欲求→自己実現欲求という個々の欲求以外に「→(矢印)という欲求」が存在する。ここを反映するならば、マーケティング活動において大きく2タイプの欲求の満たし方があると言える。


①個々の欲求段階でよりその欲求を満たす
②個々の欲求段階から上位の欲求段階へ移行したい欲求を満たす


チャート【欲求の横肥大と縦成長】(pdf)


そして、マーケティング活動の暗黒面は①に拘泥すること、マーケティング活動の美徳面は②に関与することではないだろうか。


■マーケティング倫理という視点
マーケティングは思考のフレームなのでそれ自体は無味無臭である。ニュートラルなのである。しかし、それでもそのフレームを使う者は使う立場としての倫理観を問われるだろう。成り行きでマーケティング・コンサルタントをしてきた場末の小生のような個人事務所の輩でさえその引力圏から逃れることはできない。どう対処するかは別だが(笑)。


ヤスハラ・マーケティング・オフィスが信条としたいマーケティング倫理は、常にこの②を含む活動を促し、①に準拠する部分を減らすためにはどうするかに留意するコンサルティングをすることである。人の欲求の段階アップを肯定することは成長を肯定することと捉えたいと思っているからである。


どんな商品やサービスも何らかの欲求を満たす。満たされた人が次の段階に向かうことにどれだけ役立っているか、または、その段階に留まらせる阻害要素を取り除いているか、が重要と考える姿勢である。個別の欲求の横肥大を避けること、縦への刺激を組み込むこと、とも言える。


携帯電話のビジネスに組み込むと・・・
・生理的欲求満足に貢献する
=例えば、災害時に人々を助けるサービス
・安全欲求満足に貢献する
=例えば、在宅でしか教育が受けられない人々へのサービス
・社会的欲求満足に貢献する
=例えば、人々が新しいコミュニティを主催・参画できるサービス
・自己尊重的欲求満足に貢献する
=例えば、人々が自分の役割と信じることをサポートするサービス
・自己実現欲求満足に貢献する
=たぶん、携帯電話を超えた何か
などなど


そのためには「何が顕在化させればよいニーズかの基準を持つ」ことであり、必然、己の自己成長がなければこの判断を下せる高い視点は保てない。まあ、マーケティング倫理とは修行なのである(笑)。


2009.1.6

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