経営視点で考える原子力発電

■経営視点で考える原子力発電【その1】経営リソース


原子力発電の技術的な部分はさておきます、よくわからないからね。そんな自分でも土地勘のある経営という観点から原発の今後を見てみることはできます。一番気になるのは、最も重要な要素であるヒトの部分で大いなるリスクがあることです。


経営リソースの4大要素、ヒト・モノ・カネ・情報のうち、日本の原子力発電において充実していると言えるのはカネだけです(でした、かな?)。それだけでモノと情報を何とかしようとしてきたのが昨今までのお話なのですが、肝心のヒトがかなりまずいまま、つまり、危険な状況と見ています。


原子力発電の経営リソースで「ヒトのヤバさが引き起こすもの」は図表のようなフローで表せます。



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原発の現場である原子力発電所で働きたい人が減っていき、それが及ぼす影響の流れです。今もそうかもしれませんが、ますます加速していきます。その主な理由は、①危険だから、②キャリアとして魅力不足、③生活そのものが不便、です。


①危険だから。
福島の事故の様子を見ると就職先として選ぶには躊躇しますね。生命の危険だけでなく、結婚相手としてもリスキーなので結婚できない危険性も高まりますかねえ。常に緊張を強いられる精神的負荷も高すぎます。


②キャリアとして魅力不足だから。
世界のエネルギー政策は多様化しており、現時点では原発は縮小の可能性もあり、原発のスペシャリストが長期的にリスクがありそうです。キャリア・デベロップメントを考えれば考えるほど、職業としての選択理由は落ちていきます。


③生活そのものが不便だから。
原発半径50kmというキーワードから多くの生活関連ビジネスが出店などの投資を避けます。買物、娯楽、教育、もろもろのサービス業は経営の観点から直接の営業を控えてしまいます。新しいサービスなら尚更です。自動的に、その中の人たちの生活はすこぶる不便なものになります。


すると人材不足が生じます。人数が足りないという量的だけでなく、気の利いた人がいないという質的にも不足していくでしょう。人の気持ちに沿ってみると、人心掌握できてないビジネスの不遇を見ますなあ。


この人材不足が具体的にどういう影響に出るかというと・・・


原子力専攻の人々でさえ避ける就職先になり、、専門性は弱まります。すると、現在働いている少ない有能な人たちに高度な仕事が集中し、これが疲弊を引き起こすでしょう。集中力は欠如しやすく、体調管理にも不具合がでれば現場の統制に陰りが出ます。


また、素人集団度合いが高まると、素人判断が横行します。東海村のバケツ事件は記憶に新しいところですね。原発は高度な科学技術の集積のはずです。遂には、運営マニュアルすら読みこなせない可能性さえでてきます。


おまけに、それをサポートする外部の企業でも優秀な人材は将来性のある他部門に回されるでしょう。皆が行きたがらない原発サポート部門では同様に人材不足が起き、トラブル解決能力も劣化していきます。


するとどうでしょうか? たぶん簡単なトラブルは問題なく解決できるでしょう。しかし、ちょっと複雑な状況になったら?、初動でうっかりミスを犯したら?、今度はどうですかね。


福島は天災が引き金でしたが、次回は間違いなく人災でしょうなあ。科学技術に疎いマーケティング・コンサルタントごときでもそのくらいは読めます(苦笑)。ただ、それが世界中のどこになるかは、マーケティング・コンサルタントごときでは分かりません。ごめんなさい。


経営視点で考える原子力発電【その2】撤退障壁


撤退障壁とは、あるビジネスをやめようと思ったとき、やめるのに多大なコストがかかり、撤退が難しくなる状態です。どんなビジネスもただでやめることはできません。


売れない商品を終売しようとしても、仕掛品や契約済みの原料を廃棄する費用や生産ラインで雇用した人々に退職してもらう費用など、売れない赤字商品に追い打ちをかけるように損がのしかかってきます。えらいこっちゃです。


タダでやめれるような仕事は自宅で細々とやっている個人事務所ぐらいです。撤退自慢っす!(笑)。


原発はこの撤退障壁が極限に高いビジネスです。どう見ても横綱格でしょうなあ。「やめる」の一言に対して「どうするんだ!この設備は!」、というシャレにならないほど大変な商売なのです。


稼動しているときはこの退出のコストは気にしなくていいので、なかなか良いビジネスに見えます。(見えない?) しかし、やめたら至るところから請求書が飛んできて首が回らなくなるわけです。それも百年単位の長さで続きます。


ちなみに、戦国時代では軍を撤退する時の最後尾の部隊を「しんがり」と呼び、上手く勤めあげるのが有能な武将の証とされたそうです。それは追手と戦いながら逃げ切ることが非常に難度が高いからです。ご参考までに。


撤退障壁の高いビジネスをやめるのには相当な労力が要ります。障壁の高さにまさるエネルギーが必須となります。原発を廃炉にしても、それを延々と管理しなければいけないのです。


飲食店が居抜きで入ってくれるようなやわい代物とは訳が違います。やるのにも労力は必要ですが、きっとやめるのはその何倍もの労力がかかるでしょう。


ちなみに、知り合いの離婚経験者達は異口同音に「離婚にはエネルギーが要る。結婚の3倍は必要だ」と言っていましたねえ、ご参考までに。


さて、厄介なのは止め方です。福島の事故は「とりかえしのつかない」事故ですが、巨大な撤退障壁があると、人は何とか「とりかえす」方向にむきやすくなります。誰もがその未来に続く遠大な負債を引き受けられないからです。


本来の顧客ニーズからの必要性ではなく、撤退回避を目的に止めることを先送りするということは、次の「とりかえしのつかない」事態を待っているようにも見えます。


これに近い事例が、超音速旅客機コンコルドの終焉ですね。


イギリス・フランスの国策事業でした。「より速く」が重要だと判断した開発自体の戦略ミスはあったにせよ、商業的に失敗が明らかな後も全面的に止めるキッカケを見つけられず、最終的には、墜落事故が起きたらあっさり全機退役という段取りとなってしまいました。


事故の原因はタイヤだそうですから、超音速機の技術とは遠い部分が悲しさを増幅させますなあ。利害関係者は「とりかえせる」と思って運航を引っ張っていたのかも知れません、それとも、「とりかえすあてはないけど、とりかえせないとは言えない」だったのかも知れません。原発の行く末を予感させます。


ちなみに、撤退を決定づけた2000年のコンコルドの墜落事故では113名の方が亡くなりました。数字が意味深ですが、これもご参考までに。


2012.8.1

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