図表は構図が全て

書き始めはチャートから、というのが我がスタイルでして、図表が揃わないと文章が書けません。よく歌を創る時、詞が先にできて曲が後にできるのが「詞先」、曲が先にできてから詞を乗せていくのが「曲先」と言いますね(そういえば、NHK「あまちゃん」では踊りが先に出来てから歌ができる「振り先」というのが出てました)。


この延長で執筆を考えると自分は明らかに「図先」です。納得のいく図表が数十枚揃ってからやっと本丸の物書きに入れるのです。小説家ではタイトルさえ決まれば書ける、登場人物のキャラが整えばあとは早いといったタイプ違いがあるようですから、きっと「題先」「人先」なんてことも言えるのでしょう。


■「図表は構図が全て」という話


自ら「図先」と言う以上、やはりそこには図表への何らかのこだわりが潜んでいるはずです。ええ、そうです。その一つ、もしかするとこれだけかもしれないのが「図表は構図が全て」という執着です。


<構図=絵画などで、各部分を適当に配置してまとまった全体を作り上げること。コンポジション。その、構成された図形。>by Google。


ビジネス書のチャートでおなじみの丸や四角や矢印はあくまでもモチーフです。これらの置き方で画面全体に意味が浮き上がるようにできるかが「図先」にとっての良し悪しの基準なのです。


◾「空白と隠喩」


構図では空白の使い方が重要です。どんな白紙画面にも暗黙の意味が流れているので、その空白という非言語を利用できるかどうかがチャート全体の価値に影響します。例えば、ページのめくり方は横書きであれば、左から右へ動線があります。ですから、左が先手要素・右が後手要素になります。


マーケティングの話で言うと、企業と顧客を図の中に配置するときに必ず企業が左側にレイアウトされます。なぜなら、経済活動は販売者側が先手を取って、それを受けて顧客側が後手を打つからです。


よく見かける→(矢印)も構図で意図を与えることができます。矢印が画面の左下から右上に向かっていくのと、画面の上から下に向かっていくのでは白紙が持つ隠喩に違いが生じるのです。


斜め右上への動きは拡大基調や、未知の未来が存在している感じを出すのに有効ですし、上から下への方向は淡々と作業を実施していくこと、地に足のついた活動が継続していくニュアンスを伝えます。


◾「対称と組み合わせ」


<対称:1.物と物との間に対応があり、つり合っていること。2.論理・数学AがBとある関係にある時、BもAと同じ関係にあること。特に幾何学で、二つの点・線・図形などが、ある点・直線に関して向き合う位置にあること。シンメトリー> by Google


可能な限り図表の構図を対称関係でまとめます。そのために表示したい要素・表示すべき要素の全て再配置します。


多くの要素関係は「階層関係のあるピラミッド型」「二項目対立の関係がある左右対称型」「3項目以上の相互関係を示す回転型」「中心と派生要素の関係の放射型」の4型にできます。これらは点対称や線対称を持った基本形です。ビジネスのような複雑な業務になればこれら4型が混ざり合うことになるのですが、いずれを取っても対称関係は維持できます。


対称があるということは絵画的には消失点が存在するということですね。パースペクティブっていうやつです。消失点(地平線のような消失線も含め)が存在する図表は動きと秩序が伝わります。こういったニュアンスは、言葉の列が単一方向に進む文章という形式では生み出せません。


特に編集者はこういった図表の妙味を知っているので、出版側の評価も良い方向に向くようです。また、この作業が執筆者にとって意義深いのは、画面上での対称化に時間がかかる場合、ほぼほぼ「前提として集めてきた要素が間違っている、過不足がある」といった問題を抱えています。ですから、当初の方針そのものを破棄するきっかけをくれます。辛いけどね。


学生時代に美術部に在籍しておりました。画才はまったくといってないのですが、この頃培った美術館やギャラリー通いの趣味が効いているのか、絵的な仕事が苦にならないのが有難いです。スティーブ・ジョブズも若い頃にカリギュラフィーを嗜んでいたとか・・・、自分と一緒にしてはいけませんな、不遜でした。


参考図表


2016.8.8
(~2016.2 近況報告より加筆修正)

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