グループワークをファシリテートする場合、ファシリテーターとして進行が上手くいっているかどうかを測る視点がいくつかあります。今回もその一つ。ポストイットの総移動距離でグループワークの有効度合いを測るというものです。
特に、参加人数が多く、複数のグループ(グループ数が3以上)でのファシリテーションなどでは、広い会議室で行われます。個別グループの討議内容を離れた場所から把握することは難しいので、こういった眺めているだけで測る基準があるというのは役に立つのではないでしょうか。
さて、まずはグループワークのホワイトボード上での大きな流れを説明しましょう。
大きくは「拡散ー収束」です。複数の視点で情報を集めて共有していく過程が拡散です。その後、グルーピングや樹形図などを活用してメタな視点で情報を圧縮していく過程が収束となります。ポストイット的な視点から見るなら、「拡散=ポストイット数が増加」「収束=ポストイット数が減少」が一般的です。
ただし、収束時は上位概念(抽象化された)による新たなフレーム枠としてのポストイットが登場するので、ホワイトボード的には、「討議に不要になったポストイットが増加」と言った方がただしいかもしれません。
この増減の風景は、グループワークの時間配分を見るような場面では有効です。「あ、あのグループはポストイット数が減少に転じたから、収束モードかな。時間的には早すぎるから、もう少し拡散に集中できるようにコメントしてこよう」なんていうのは離れた場所から眺めていても判断が効くのです。
しかし、「拡散ー収束」ができたとしても結果が望ましいものになるかどうかは別です。なぜなら、質的な状況はポストイットの増減ではなく、ポストイットの移動距離が多いかどうかが重要だからです。
では本題に入っていきましょう。
まず、前提から。さきほどの「拡散ー収束」のタイムテーブルですが、もっともキモなのは、拡散と収束の間にある潮目です。そして、この潮目に混沌(こんとん)、つまりカオスがあるかどうかがグループワークの質に大きく影響を及ぼすのです。
拡散→混沌が小さい→収束=あまり収穫のないグループワーク
(予定調和なセッション)
拡散→混沌が大きい→収束=収穫と言えるいい感じのグループワーク
(創発のあるセッション)
混沌とは、参加メンバーがどうしていいか分からない状態です。今までの判断基準ではにっちもさっちもな感覚になっています。この進退窮まった感こそが、混沌が打診してくる新しい視点でなのです。「混沌が小さいセッション」は予定調和的な内容になっている可能性が高いのです。どこかで見たいつもの結論ってやつです。
そこでです。この混沌の有無を、たとえ会議室の反対側にファシリテーターが座っていたとしても、視認できるというのが「ポストイットの総移動量」なのです。
硬く書くと・・・・
「ポストイット総移動量」
=「ホワイトボードに貼られた枚数」X「一枚ごとのホワイトボード内での移動距離」
・・・てな感じです。
右辺を見ていくと確かに、拡散期に出てきたポストイットの数も重要な要素になっています。量的な部分ですね。すると、もう一つの「一枚ごとの移動距離」っていうのは何か?となります。これは、一度貼られたポストイットが張り直されて別の場所に移動したことを意味します。こちらが質的な部分です。
「ねえ、このポストイットはこっちの方がいいなんじゃない?」とか「まて、このポストイットの集まりって、こっちの集まりの影響でできているよね?」なんていう会話の元にホワイトボードの中をあっちに行ったり、こっちに行ったりするわけです。
すなわち、初期の思考マップ(=はじめのホワイトボード)からの変容が表出(=貼り直されたホワイトボード)しているのです。ポストイットの移動は混沌における「もがき」であり、知的苦悶ですから、創発(既存の思考での対立や葛藤が否定されずに統合された状態)に近ずいている可能性が高い。
遠くから眺めていると、混沌と向き合っているグループの板からは「ずいぶん絵柄が変わってきたな」という印象を受けます。こういうとき、余計なアドバイスは無用のバイアスを生むだけですから、黙って暖かく見守ってあげるのがファシリテーターの慈愛なのです。
この反対に、いくら討議が盛り上がっているように見えても「最初に貼った姿から、まったく変わった様子もない」というケースでは、積極的に介入します。「このポストイットって、こっちでもいいんじゃないの?」な〜んて貼り直しを演じて見せ、「これで結論だ!」と決めにかかっているメンバーに「やり直し」という名の絶望感(ある時には怒りw)を提供するのが、これまたファシリテーターの慈愛なのです。
2017.5.19
(~2017.5 近況報告より)