学歴かあ・・・、どんな学校を出たかって年を取っていけばいくほど、どうでもいいことになるけど、結構、若かりし頃は気にしたし、そういう世間の風潮(昭和だね)の中にいたことは間違いありません。自分も、一流大学を出てます! 偏差値高かったです! ただ、それだけです。なんだったんだろうと、思いますね。長く見ると、学歴はそれほど役に立つとは思えないし、そもそも学問を習得すれば人生の質に貢献してくれればいいだけの話なんです。
しかし、もしですよ。自分の甥っ子あたりが「有名大学に合格しました!」って連絡をくれたら、やはり、「おめでとう! すごいね」ぐらいは言うだろうなあと思うのです。その一方で、甥っ子が「もう学校はいいです。高校中退しました」って教えてくれたら、「もう学歴なんか役に立たないよ。勇気ある選択だよ」なんて返しそうです。我ながらWスタンダードで、どう考えても不誠実ですな。
そこでです。学歴をポジティブ・ネガティブの関係から解放するために、「学歴の反対語が学歴不要」という見立てを放棄してみようと思うのです。で、その反対語とは「作品」ではないかと。
学歴⇄作品
第三者が参照できる「あなたの才能の軌跡」が作品です。そして、学歴が、第三者が参照できる「あなたの所属の軌跡」です。
作品といっても創ったものすべてが作品と呼べるわけではありません。学歴への関心度合いと同等に渡り合えねばならないでしょうから、そこに対峙できているぐらいの存在感は作品に求められます。学歴にグレードらしきものがあるように、作品にもグレードらしきものが存在します。また、作品はモノに限りません。お店を開業した、サイトを立ち上げた、プログラムを提供した、イベントを主催した、でもOKなのです。そう、作品は「あなたの生き様の見える化」とも言えます。
ただし、留意してください。お店・サイト・プログラム、イベントは「ああ、これをやったのがあなたなんですね」が成立するためのきっかけでしかないのです。学歴も他者判断のきっかけでしかないようにね。実のところ、作品が鑑賞者側に、「あなたと一緒に働きたい」「あなたの話を伺いたい」に結実した時、完全に学歴を凌駕します。相手はもうあなたの出身校には興味を失った状態になっているからです。
もちろん、作品はクリエイティブな世界ですから、簡単にできるものでもなく、一人で完結しないような複雑さを持ったものもあるでしょう。でも、作品は世に出たなら、もう「あなたの才能の軌跡」です。履歴書のような退屈なスペック表から解放されたいのであれば、「え!? あれってあなたが創ったの?」ぐらいの反応を引き起こせる作品(ビジネスであれ、社会活動であれ、もちろん芸術作品だとしても)が欲しいところです。
もし、自分の子供が、もちろん甥っ子も、「学校やめたい」と覚悟するなら、「いいよ。じゃあ、作品を目指してください」、そう応えようと思います。サポートは惜しまないよ。
さて、この文脈に沿っていくなら、学歴教育は作品教育に。キャリアに対してはポートフォリオ(作品集)となります。キャリア開発はポートフォリオ開発に。調子づかせてもらわせると、ノン・キャリアへの処方はフル・ポートフォリオぐらいなゴールイメージです。
ちなみに、小生も1冊目の本を出版できた時、「ああこれで学校名を言わなくても私を説明できるなあ」、と思ったものです。そう、それもまた作品だったのです。
2017.11近況報告を加筆・修正