「髪結いの亭主プロジェクト」準備段階の様相

ヤスハラ・マーケティング・オフィスの既存主力事業はマーケティング・コンサルティングですが、こちらは家庭を組織単位とした新規事業開発の位置付けになります。どんな企業も事業の新陳代謝が必要です。それは家庭生活も同じ。全社をあげて、家族総出という意味ですが、奥様の事業立ち上げを旦那を中心にサポートします。


相方である奥様は独立したお仕事を目指して、準備期に入ってきております。いまだ何をコンセプトにするかは現在模索中ですが、まずは事前準備として大切だなあと思うところを・・・。


その1:ボディ・ケア


さて、新規事業の準備というと事業計画やら、業務スキルの習得といった感じがしますけど、小生が一押しで妻にお願いしているのが、ボディ開発。あっさり言うと体力。具体的には筋力です! 昨年の秋から彼女もテニスを週一で習い始め(小生は前から通っているので、ことあるごとに推奨してたのでした)、その効果もあってか、今年は冷え性に悩まされる頻度も激減しました。


ボディ鍛錬を新規事業の一部とするわけですから、相方のテニス・レッスンの時間を作るのは「髪結いの亭主プロジェクト」のコア業務、つまり、大切なサポートと考えております。で、父は二歳児とほぼ1日過ごすわけですな。
そんなこんなで続けていると、ななんと!、4月になって、妻はテニスだけでは足りない!と宣いまして、毎朝、小学生である上の子の登校時間と合わせ(半分見送りを兼ねて)、走ってきます。うーん、すごい、同じ人とは思えない。


小生は、ボディから立て直すというのは新しいことを始めるにあたって最も大切なことではないかと思っています。旧体制に過剰適応した自分の体をチューニングすることは、体・心・魂の順に自由度を高める第一歩ではないかと。


新しいことが新しいことである必要条件は今までの自分を捨てること、つまり、そこには自己否定があるのです。多くの人々は、心の部分(主に頭の中ですな)で新しい活動に舵を切れば新しい方向に進むと考えてたりします。しかし、舵は切れても船の本体は今までの流れに逆らえず、自分のいた元の流れに帰ってきてしまうのです。そう、過去の自分像を否定するにはエネルギーが必須なのです。体力はそのための原資だと考えています。


その2:マインド・ケア


では次に、マインド部分で髪結いの亭主のはどんなことを大切にしているかについて。まあ、いろいろあるんですが、「稼ぐ」ことを価値としない、そんな文化風土を家庭内に作っていくことです。


新規事業プロジェクトですから、最終的には収益という家計収入に貢献して欲しいという下心はあります。否定はしません。しかし、目的は稼ぐことではないのです。少々語気を強めに語ると、家族内で「稼ぐ」「稼いでいない」を価値観にするのはまったく無価値な話だと思っています。


小生は、幼少期をどっぷり高度成長期のザ・昭和の中で育っております。父は労働、母は家事、というクラシックな二分法に染まって生きてきました。その後の境遇としては、結婚が遅く、独身時代が長かったために、周囲の方々から結婚生活を破綻させるパターンを拝見せていただくことになったわけです。そして、その原因の一つが「稼ぐ」を価値として高らかに家庭内で謳うことだと確信しました。


この話を解説します。「俺が稼いでいる」「私の稼ぎでみんなは暮らしている」といった稼ぎ基準での家庭内序列発言は家族全体(発言している者も含め)の心を蝕んでしまうのです。極端な場合、稼げる人=偉い=発言権あり、稼いでない人=偉くない=発言権なし、ってな感じの家庭もあります(過去は大量にあった)。


そもそも新規事業は稼ぐ能力は低いのです。稼ぐだけなら今、稼いでる人がもっと稼ぐ算段をした方が効率的だとも言えます。ですから、「髪結いの亭主プロジェクト」では稼げないかどうかを問題にするならハナからキックオフするなよ、ということになります。


亭主も仕事を減らしてまでも相方の新規事業をサポートしようとしているには狙いがあります。もちろん、お金は新規事業が継続的に続くという意味で重要な指標です。しかし、所与の目的ではないのです。


お互い縁あって家庭を営んだ仲間(ここでは妻)が人生に意義を見つける過程、その一つが髪結いの亭主プロジェクトなのです。パートナー(ここでは夫)としてその過程に参画し、間接的に人生の意義に気づく(せめて、近づく)ことこそが目的です。まあ、簡単に言うと、「限られた人生時間の中で、夫・父、妻・母以外に何か意義深そうなことがあるか二人で探ってみよーぜ」 ってな話なんですけどね。ここが重要、お互いいつか死ぬわけです。


おまけに、当の夫・父側だって、いつかは「稼げない人」になるのです。誰もが老いていけば、稼いでない人になるのは自然の流れであり、稼げない自分を自分が作った稼ぎ基準で断罪してしまう時が必ずやってくるのです。死に際に天井を眺めながら、あーあ、言わなきゃよかった、ってなるかもしれないね。


近況報告2016、6を加筆修正


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