ヤスハラ・マーケティング・オフィスの近況

05月31日

お世話になっているPR会社、といっても女性二名、が新オフィスを構えるということでパーティへ参加してきました。


花束とシャンパンを抱えて向かうは表参道近く、ギョーカイ的な場所のオフィスは洒落たカラーリングで、なるほどPR会社らしいと思えます。この会社はやりっぱなしのPRではなく、キャラバンスタイルの足で稼ぐ広報というのが強味です。マンションの一角は、売れるている会社の熱気の発露が空間になっていました。


さて、その岐路。
オフィスをどう考えるか、知人と青山をぶらぶら歩きながらブレストしました。
では、その結論。


オフィスが欲しいわけではない、溜まり場が欲しいのだ。


ということで、いつの日か、ディープ新橋に溜まり場を造ることを決めました!オフィスでもあり、カフェでもあり、ラウンジでもあり、バーでもある、なんて場所です。飽きたら新橋や銀座へぷらっと出向くノリはいかがでしょうか。


がぜん、やる気が出てきました(笑)。

05月25日

セミナー終了で一息。
声は通るほうなので、混んだ蕎麦屋でも座敷からオーダーができます。(笑) しかし、さずがに長時間セミナーでは後半声量が落ちるので、最初からマイクを使うようにしてます。声も体力の一部ですから・・・講師は肉体労働という訳ですな・・・。何を今更ですかね。


■戦略決定のコミュニケーションと戦術承認のコミュニケーション


よく聞く話ですが、「結論を先に話、理由を三つ述べることが望ましい」とする。昔の日本の参謀本部もこんな報告を良しとしたそうです。


でも、これは戦術に関する承認のためのコミュニケーションです。すでに方針が決まっているときのみ有効です。戦略は結論や提案自体よりも、それを「決める」ということが重要です。よって、もう振り返らないほどに納得できるものかどうかがポイントになるので、プレゼンテーションという表現形式は重要な意味を持ちます。


コンサル先で感じるのは、日本の会社は相変わらず戦術承認型のコミュニケーション、外資系、特にアメリカ資本は戦略決定型のコミュニケーションに偏りすぎているということです。戦略ー戦術は両輪なので、どちらが正しい分けではなく、どちらも必要です。


しかし、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)スタイルに沿った戦略案では基本方針は決まりませんし、決めるだけの納得度もありません。一方で、プレゼン重視ばかりでは現場の柔軟で機敏な動きには繋がりません。


戦略不足で日本軍がアメリカ軍に負けるのも、戦術脆弱でアメリカ車が日本車に負けるのもこんなところに遠因があるかもしれません。

05月21日

忙しかった一週間でした。
それも終日拘束での月ー金ですから、ただひたすらアウトプットにこの身を捧げた五日間です。


連休の反動で立て込んだとは言え、良くない兆候です。営業時間短縮を宣言している以上は、それに従えなかったことを土曜日の今、こうやって反省しています。


「忙しい」は精神安定上は悪くありません。「自分は必要とされてる」感を味わえるからです。しかし、それが「忙しい」を言い訳にした現状反復生活に繋がるなら人生の阻害要因以外の何ものでもありませんね。「忙しい」だけなら、敢えてこんな個人事務所を張らなくても出来ることです。


来週からは、内勤日が徐々に安定的に設定できてますが、隙を見せないようにせねば・・・。

05月16日

出張先から帰ってきました。
明日から泊まりでセミナー二日、続いてマーケティングセミナーが都内にて二日と待ち構えてます。エネルギー温存のため、思考ゼロの近況報告です。


■「Shall we dance?」 と 「時をかける少女」


AGF会社員時代、広告担当という職務の頃ですが、広告制作もその範囲でした。実際は広告代理店が作成するのですが、CM製作オリエンから費用・時間管理や細部のチェック、広告効果測定などをする仕事です。


おまけに広告代理店評価や、コミッション交渉案(交渉そのものはお偉いさん)までするという、なかなか得がたい経験が出来ました。


まあ、そうは言っても分かりやすい役得はCM出演タレントの方々と仕事でご一緒できるというミーハー充足度が高いところでしょうか。


個人的にはアンチ・タレント広告派なのですが、いかんせん単価500円以下の関与度が低いグッズでは広告認知度を上げなければ商品知名は上がりません。多くの視聴者に振り向いてもらうCMにタレント起用は必要悪なところがあります。


◇米国版のShall we dance?で思い出すこと◇
草刈民代さんを起用したとき(オリジナル版の主演女優)、最初は普通の美人という感じで、「おいおい大丈夫か?」と思いました。
しかし、彼女がCMディレクターに言われてバレエのポーズをとったとき、スタジオ全体が静まり返りましたね。ライブの美しさに誰も二の句が告げられないのです。


いやはや、人の体はここまで美を表現できるのか、そういうショックを与えてもらいました。それも、たったワン・ポーズで。それ以来、バレエが好きな人の気持ちは良く分かりますよ。


◇原田知世さん結婚ニュースで思い出すこと◇
個人的に「時をかける少女」デビュー当時からのファンなので、広告担当の頃にも「ファンだからねえ、使いたいねえ」などと冗談を飛ばしてたりしてました。しかし、その通りになると、これはもう職権乱用のそしりは免れないわけです


今でこそ某ブランドの看板タレントですが、実は最初の予定では違う女優さんが候補でした。既に社内もその人でOKという段階で、競合排他条件(他の会社がCMに関して、こういうジャンルは出演してはいけないという契約)に引っかかってNGになり、「時間が無いのに、どうするんだ!」っていう状況に陥ったのです。


そんな緊急事態に、時期、予算、ブランド世界との整合性などから何人か候補が上がってきて、その中に彼女も入っていたのですが、広告担当の原則は、誰がブランドにとって貢献できるかどうかだけです。


もう、その候補内であれば誰でも良かったんです。さあ、あとはお偉いさんたちに即決してもらうことに・・・で・・・・こういう結果に。その後、経緯を知らない社内からは「アイツガ好みで決めた」となってしまいました。


それもそれでいいでしょう。


会えたし、写真も一緒に撮ってもらったし(笑)。

05月11日

本日、やっと戦略思考セミナーのテキストがアップしました。
戦略・・・つまり捨てることです。


はっきり言って、戦術に比べて努力は必要ありません。問題は忍耐力です。「捨てる」ための割り切り、「捨てた」後の迷いにどう立ち向かうか、だけの話です。


戦略は突き詰めれば精神修練論です。


捨てなければ拾えない、それだけのことと頭で分かっていながら、今もっているものを脇や股に挟みながら、それもちょうだい、と言っている自分をどう諌めるかは難しいことです。


「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」


いまだに言い続けられるということは、それだけ出来ないということなのです。

05月08日

心理学の勉強会に出席しました。
いやな予感はしてたんです。きっと辛いことになるのだろう、と思ってたのですが、その通りになりました。


勉強会のテーマは「人間の生態の生き残りの心理学に向けて」
人類の話と、一人の人間の心の話にリンクを貼ろうとするお題でした。何と言っても、今の石油文明全盛期があと15年と仮定したとき、人々の気持ちはどのような受け入れ準備が必要だろうかという具体的な前提が重いのです。


果たして省エネ程度でカバーできるのかどうかは置いておくとして、60億の人口に対し20億人が石油に頼らず生活し続けられる上限とか、アメリカ人一人に対して奴隷50人分の石油消費がなされてるなど、算出根拠も偏ってるかもしれないペシミスティックな数字ですが、いづれにせよ人類リストラは避けられそうに無いからです。


さて問題は、そういう厳しい状況に対して人々の行動を変えるのには心理学はどういうアクションを取りえるか?、という部分です。


あまりにもスケールがでかいので、こう考えながら聞いてました。


自分が大企業にいる。市場は右下がりだが、具体的な対策も無く過去うまく売れた商品を売り続けている。売れ行きの悪さを値引きでカバーしているが、何ら抜本的な動きはない。もちろん、砂時計は止まらない。そこの勤め人が大組織にどんな影響を与えることができるだろうか?


これが悩ましいのはコンサルタントのようなニュートラルな立ち場でなく、売れ行きが悪い商品を売るためのノウハウしかスキルとして持ってない人物としてです。もちろん、教室の中で答えを見つけられるはずもありませんでした。


見なかったことにしてたものを目の前に突きつけられてようで、ちょっと痛いわけです。

05月05日

散歩日和です。
執筆に行き詰った時には、新緑が救ってくれそうな気がして、木立を目指してしまいます。
葉桜の並木道も歩き飽きたので、裏手の神社へサンダルで向かってみました。


鎮守の林ほどの木々ですが、何分その背丈が尋常ではありません。随分太い根元から立ち上がる幹は、一本一本が王様のようにどっしり構えています。


そうやってよそよそしく離れているのに、空の一歩手前では、よう元気、と言わんばかりに互いの小枝を木の葉でさすり合っているので、昼間でも手元には薄日しか届かないのです。


神社の隣にはお寺と小さな墓地があります。珍しいロケーションですが、それが益々この一角を静かでひんやりしたものにしてるようです。


棲家を選ぶとき、近所に墓地やらお寺があるというのはプラスのポイントとして加算されます。
辛気臭いかも知れません。


でも、何気にお墓が視界の中に入ってくるというのは日々の生活に、ちょっと待てよ、といったタメを作ってくれるので救われます。


この神社の先は洗足という高級住宅地です。美しい邸宅ならお任せください、というエリアでしょう。散歩するには気分のいいところですが、ふと更地や新築住宅を見かけると大概、立て看板が値段で煽ってきます。


サンダルで歩いていても、ここを買うとしたらどう支払うか(どう稼ぐか、か?)、などと無意識に生活を逆算している自分がいたりします。


そんな時でも、お墓の隣をすり抜ければ、ここに入るとしたら何をしておくべきか?(何を思い残したくないか、か?)、などと人生を逆算させてくれるのが有難いのです。


だからと言って、執筆がすんなりいく訳ではないですけどね。

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