ヤスハラ・マーケティング・オフィスの近況

09月29日

今週は目一杯外勤でした。


刻み込んだスケジュールですから、当然のように出先周辺で昼食や夕食、場合によっては朝食となるわけです。そんな中、最近、ムムッこれは、と思うのはB級飲食店のA級メニューです。


B級喫茶店のナポリタン・スパゲッティー
B級中華料理店のソース・ヤキソバ
B級蕎麦店のカレーライス


なぜか、イケル店があります。ナポリタンはフライパンが合うのか?、ソース・ヤキソバは火力がポイントなのか?、カレーは蕎麦湯で溶くのが秘訣なのか?、などなど電車やタクシーの中で回想しては、次の仕事先へ向かいます。


ムムッそういえば、いずれも早や出しメニューですね。どうりで接触率が高いわけです。

09月22日

本日は竹橋にて仕事の打ち合わせがあり、終了後、蛾が外灯に吸い寄せられるがごとく、東京国立近代美術館へ。(笑)
まだ3時というのに、だからこそか、高校生が集団で入場していてかなりの繁盛振りです。今回は大原美術館の所蔵物が中心の企画展で、「ああ、そういえば自分も高校の修学旅行で倉敷に行き、わけも分からずに入ったのが大原美術館だったなあ」と、思い出とともに眺めました。


実は、今日ここで再会したフォートリエとかロスコのような絵が好きなんですな、つまり、具象と抽象の間が。どうも、これは仕事柄にも反映されていて、抽象的なクライアントの話を具体的な事象に置き換えて話すとか、提案された具象的なクリエイティブ・アイデアを概念的なマーケティング戦略に照らし合わせて判断するなど、この二点を翻訳するのが得手なようです。


■個人とコミュニティの関係


人間はコミュニティを離れては生きていけません。一人の人間は複数のコミュニティに参画していて、それは規模の大小は問いません。しかし、その中のいくつかは深刻な問題を抱えているように見えますが、何がそうさせているのでしょうか。


コミュニティという抽象的なものを区分けするには、受動的ー能動的の軸で行うことが出来ます。


○完全受動的コミュニティ
・・・オギャーと生まれた時、ほぼ自動的に所属するもの


・家族(親子関係)
・国家(自治体)
・宗教


○受動・能動半々コミュニティ
・・・能動的に選べるが、どこかに属することを強要されるもの


・家族(夫婦関係)
・学校
・会社


○完全能動的コミュニティ
・・・基本的に縁の範囲内で自由に選べ、解消も簡単なもの


・友人
・師弟
・非営利なコミュニティ(ボランティアなど)


こうやって具体物を並べてみると、昨今の流れは受動的なコミュニティが行き詰っていることが見えてきます。親子関係での事件、自治体の機能不全、宗教の教条主義化などは最たるものです。また、受動・能動半々といえども、離婚率の増加、学校の教育品質低下、会社のリストラなど、コミュニティとしての信用が落ちてきています。


そして、これらを補完するように完全能動型コミュニティへ機能の重心が動いているのです。ソウル・メイト、メンター、SNSなどのキーワードが増えてきてるのは偶然ではなく、このコミュニティ領域が活性化している証とも言えるのではないでしょうか。


個人の時代というのは決して「一人で生きていけ!」という意味ではなく、多くのコミュニティ不全を「個人が能動的にコミュニティの構築や参画をすることで補っていこう!」、そう思えるのです。


09月18日

「備えあれば荷物多し、荷物多ければ足元危うし、足元危うければ視界低し、視界低ければ大局に疎し」ということで、可能な限り仕事での小物類は持たない派ですが、使わねばならんと覚悟したときは思いっきり受け入れるようにしています。


で、先日、デジカメを購入しました。必要性が予想外なところで発生したためです。


コンサル先には討議用のホワイトボードが大方あり、コピーできるタイプもほとんどです。しかし、いざプリント!、となると紙なしやトナーなしや電源うまく入らずやらで、オイオイがしばしばです。そこで、板書しましょうかね、などと余裕があれば別ですけど、こんなときに限って先方では次の会議や弊社の急ぎの仕事やらが待ち構えています。マーフィーの法則というやつですね。


で、早速、デジカメ様の登場となります。


ただ不思議なことに、デジカメで撮った画面は大概が記憶鮮明で、見なくても思い出せることが多く、次の提案書やレポートに使われることはありません。


それより、なぜかデジカメを持参し忘れた時ほど、複雑で入り組んだ討議がホワイトボードに残されてしまうのです。さてはて、またもやマーフィーの法則ということのようです。

09月15日

夏休み終了で、金曜日から全速力で働いております。
リフレッシュ明けからは、「今までの課題を、新しいやり方で取り組む」というテーマを掲げています。


■自分を超えるための実践


この2項目同士、「新しい課題ー今までの課題」と「新しいやり方ー今までのやり方」を組み合わせると、こんな感じで自分に返ってきます。


・「新しい課題を、新しいやり方で取り組む」→自分を変える
・「新しい課題を、今までのやり方で取り組む」→自分を広げる
・「今までの課題を、今までのやり方で取り組む」→自分を極める


では、「今までの課題を、新しいやり方で取り組む」は何かと言うと、「→自分を超える」ということではないかと思い始めました。通常の自分にバリエーションを与えることが現時点では鍵になると考えているのです。自分を変えるのではなく、自分を超えるということが出来れば、外部環境に左右されずに成長することが許されることにもなります。


・物理的習慣を新しくする→時間やお金の使い方を新しくする。
・感情的習慣を新しくする→喜怒哀楽の出方を新しくする。
・思考的習慣を新しくする→モノゴトを捕らえる手順を新しくする。
・意志的習慣を新しくする→覚悟の決め所を新しくする。


同じ人物が同じ課題に取り組みながらも、まったく異なるプロセスを経るがゆえに、見慣れない風景に出くわすことを「自分を超える」ことと定義してみようというわけです。


禅問答のようですが、夏休みに「 急がないけど大切なこと 」がくれたメッセージです。

09月11日

【個人事業主の夏休み日記:その3】
※その4はありそうだが、やはり、不明


横浜美術館で「日本×画展」を見ました。
6人の画家の展覧会ですが、しりあがり寿氏、松井冬子氏がその中の2人です。プロモーション・マインドがパンパンの企画ですね。地方財政難の折り、集客を厳命されているのかな?


でも、心配したほどではなく、楽しめました。常設の収集品展の方が充実しているので、金額的にも不満はないです。


小学生が無料ということで大量に動員されていました。かなり騒々しかったですけど、子供のうちに本物の絵を見せるというのは正しい教育でしょう。今回の軽い企画モノがあるお陰で、小学生も何とかついていけるということです。


確かに、美術館という単語は権威的な匂いを持っていますからね。「分からないやつは来るな」的な選民思想の香りもほのかに漂っています。そう考えると、敷居の低い企画展で、まずは美術館そのものに来てもらうという狙いなのかもしれません。


さすれば、しりあがり寿氏で子供を抑え、松井冬子氏で男性陣をカバーするという、美術館に縁遠い人々をターゲットにしたマーケティング構成なのでしょう・・・嗅ぎ過ぎかな?。


さて、美術館の収集品の展示もローテーションしているので、初めて見るものも何点かありました。エセ選民にとっても、やはり本物はいいです。佐伯祐三って現物でしかマチュエルの良さが分からないし、パウル・クレーやカンディンスキーも「やはり絵なんだ」と納得がいきます。


その後、美術館のカフェにて仕事。


このカフェ、空間がアートしています。おまけに、空いていて静かなので仕事に使えます。昼前ということで、おっかなびっくりサンドイッチも頼んでみました。美術館併設のカフェの食事ですからね。オシャレなプレートに乗ったダサイ味も十分想定の範囲内でした。


でも、これも心配したほどではなく、食べられます。大テーブルを独占できたので、金額的にも満足です。


東急目黒線からの足も良いので、今度は仕事場目的で来てみましょう。

09月07日

【個人事業主の夏休み日記:その2】
※但し、その3があるかどうかは不明


休暇中です。
なのに、書き物をしています。


プロ向けにツール集を作成中です。
でも、休みなので、休み休みやっています。

09月03日

最近、本を読んでいそうな人に、この「いそうな人」というのも微妙なニュアンスですけど、敢えてオススメ本を尋ねるようにしています。相手からの「これいいよ」という話を待つのではなく、こちらから「何か良い本ありますか?」という能動的な漁猟です。


面白いのは、このように教えてもらう本のほとんどが、話題のベストセラーではなく、ロングセラーと区分けできるものなのです。発掘できたこと自体に喜びを感じますね。


◆「身体意識を鍛える」高岡英夫 
2003年初版―2004年第8版


身体を意識に乗せてみるというのは非常に大切なことです。特に脆弱な都会人に属す自分にとって、座る、立つ、歩くという普段の行為が手帳のスケジュール表の中では記載されることはありません。無理して分別すれば「その他の動き」、下手をすると「圧縮したい無駄な時間」に追いやられてしまいます。


この本を読んで歩くことを考えるようになって、カフェやレストランから外を歩く人を眺め、「この人は身体を意識しているなあ」などと老若男女問わずに観察できるようになったのは収穫です。ええ、本当はそのための本ではないんですけどね。でも、自分が歩いている時間に自分の歩き方に集中することは一日を大切に使っている感じがして、嬉しかったりします。


◆「奇跡を求めて」P・D・ウスペンスキー著/浅井雅志訳
1981年初版―2003年第18版


以前、心理学の勉強会に、翻訳をされた浅井さんが参加され、それがきっかけで初めてこの本を知りました。グルジェフに関する有名な本です。( 知らなかったので、言い切ると恥ずかしいけど )


「人間は外からの影響だけで動く機械である」:グルジェフ
「人は機械であることをやめることができますか?」:ウスペンスキー


ディープな本ですが、その存在に気づかせてもらったことに感謝しています。


◆「道元禅入門」田里亦無 
1973年初版―2002年第25版


この本になると、間違いなく、誰かから強く推奨されない限り入手しません。道元ですからね、正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)ですよ。開き直らせていただきますが、読んでも分かりません。


しかし、こういう解説本があるのは有難いことです。ここまで生き残っている本があるということは、それだけ必要とされているわけで、皆同じなのかなと少々ホッとしたりします。


読み終えると、正法眼蔵を揃えるかどうか迷います。でも、まだ無理でしょうね。まあ、急がなくても究極のロングセラーですから。(笑)

ページのTOPへ戻る