ヤスハラ・マーケティング・オフィスの近況

11月27日

秋休みです。一週間なので、土日前後で九日間です。


執筆に当てて過ごすので、ぷらぷら外にも出歩きますが、文具一式持参で行きます。
お気に入りのカフェを探しに、朝の通勤とは反対の電車に乗って遠出でもしてみようかと思います。


こういう気楽な、でも目的がある日々が好きです。有難い限りです。

11月22日

風邪の予感がする中で仕事をすると、その場は気が張っているので乗り切れますが、その後の、ふっとくつろいだ瞬間が危険です。今日は小伝馬町で仕事を終え、さてどうしようか、と思ったあたりで寒気がしてきました。まずは速攻で帰宅し、素早く休養です。明日の祭日も有難いとも言えますが、実は、そのせいでの気の緩みとも言えます。


気持ちの上下が体調を左右してしまうのが個人事務所なのです。


■認知的不協和を刺激する行為


携帯電話でソフトバンクモバイルの「0円」キャンペーンは話題になりましたが、こういう価格訴求のプロモーションは問題を引き起こしやすいものです。


随分前、ユニクロが右上がりのとき、いつまでもCMに「・・・円」といった安値を訴えるメッセージを付けている頃もそうでした。新規のユーザーは価格訴求で獲得できても、今までのユーザーが認知的な不協和を起こしてしまう結果、流出してしまうのです。


ユニクロのデニム・ブルゾンは品質もいいし満足している人が、電車の車内吊りで「ユニクロのデニム・ブルゾン・・・円」と見る。すると、自分は価格が安いから買った人間だと周囲から見られているのではないか、という不安感に駆られます。


どんな消費も「これでいいんだ」という100%納得はなく、いくらかの疑問「もっといい選択があったかも」というものを包含しています。つまり、人の心には認知的不協和が常在しているのです。


ボーダフォン、その前のJ-PHONE時代から加入している人で、ソフトバンクモバイルを使っているがゆえに「0円、好きですよね」と周囲から誤解されてしまうこと、つまり、「お金に敏感だから選んでいる人」のレッテルを恐れる人はかなりいるのではないかということです。


ましてや番号ポータビリ制ですから、変更リスクが少ない訳です。知人友人に手間かけることなく、認知的不協和を除去するためにはソフトバンクモバイルを止めるのがベストな手段になってしまっています。


人は買うことに理由が要りますが、買ったことの事実にも理由が欲しいのです。


高級ブランドが、人気のファッション誌に格好いいビジュアルだけの広告を掲載しているのは新たなユーザーを増やしたいのではありません。今、このブランドを使っているあなた、あなたの選択は間違っていませんよ、というメッセージなのです。


自分の持っているバックの価値を雑誌にのっている美しい写真で確認することが、認知的不協和を減らし、このブランドをまた選ぶパワーを増幅させてくれるのです。


敢えて、自社ユーザーの認知的不協和を刺激するというのは既存ビジネスほどリスクが高くなる、押して知るべしです。


◆セミナーのお知らせ
また、そういう時期になりましたのでご連絡します。
マーケティング部門などの新任者向けです。


図解でよく分かるマーケティング実務入門セミナー
12月5日ー6日

11月18日

着流しお店散策。


◆火曜日の夜、渋谷にて、音楽。
切りのない仕事を切り上げ、渋谷サテライト・オフィスの近くにあるJBSへ。
今のところ、自分にとっての最高のジャズ・カフェです。結構、評判の店のようですね。11時を回るとお客さんもいなくなり、ついには貸切りと相成りました。一般受けを考えなくていいので、このマニアックな空間、この大きなスピーカーでコルトレーンを鳴らしてもらいました。そして、マッコイタイナー。音が眉間に突き刺さってきます。


コルトレーンが好きなのは、彼の音楽がジャズではなく、コルトレーンというジャンルだからです。その世界は重厚でありながら、清心です。音量が大脳を直撃し、音響が小脳を揺さぶります。こびりついていたものがポロポロ取れていくようです。


マスターの選曲、コルトレーンの演奏。こういう仕事をする、その生き様に憧れます。


◆水曜日の昼、洗足にて、読書。
平日内勤日、弊社メイン・オフィスから散歩がてら歩いているうちにカフェ・シオンを発見しました。住宅街のものとは思えない予想を裏切る洒落た内部に驚きです。間取りが特殊なのはギャラリーやライブなどをするためのものらしいです。


場所柄を映し、マダムがテーブルにつどって午後の井戸を囲んでいました。少々、奥様ノイズが気になりますが、それでも新たな読書&仕事拠点ができたことに満足です。オープンして半年だそうで、固定客も付いた頃合いのようです。


コーヒーは気合入れています、とのオーナー・コメントの証か、頼んでから出されるまでに軽く15分はかかります。確かに上の部類ですが、待たせている間にせっかくの気合もカップから飛んで消えてしまったようです。もっとタイミングよく出せれば美味く感じるはずなのに・・・(苦笑)。


でも、逃げたはずの心意気も店内に留まっては充満しているようで、それが気持ちの良い空間を創っているとみました。
ちょくちょく立ち寄りそうです。


◆金曜日の未明、新橋にて、語り。
2006年度JMAマーケティング・プロフェッショナル・コースの発表会でした。参加者の方々から披露された素晴らしいアウトプットに感謝いたします。自信と誇りをいただきました。


そんな気分で仕事を終え、新橋サテライト・オフィスへ。
クライアントの若き社長のご希望で、いかにも赤提灯の焼鳥屋へ行きたいとの仰せを授かり、迷うことなく、ディープ新橋一押しの焼鳥屋ほさかをチョイスさせていただきました。


新橋ビギナーは遠慮してしまうようなザ・昭和のたたずまい烏森神社の一角にあります。
スタートが遅いのが功を奏して、先の客と入れ替わりで二席を確保し、おまけに残り二人前のみの名物・鳥スープまでありつけたのは、日頃の新橋ディープさの賜物です。(意味不明・・・笑)


とは言え、この店でお開きというのはちと失礼ですので、新橋パブ・ツアーに繰り出しました。
バートランド始発→クイーンズ経由→MOONSHINE終着


最後のMOONSHINEは今回が初めてで、馴染みのクイーンズのオーナーから教えていただきました。ここも烏森神社周辺の愛すべき猥雑さの空間にありますが、新橋とは思えないクールな内装、シングル・モルトを究めるという設定にもなかなか惹かれます。


久々のディープ新橋ハシゴ酒でした。

11月14日

読み始めたのが「多元的知能の世界」(ガードナー)です。教育者向けのようですが、推奨してもらったので、挑戦しています・・・、ちょっと大袈裟か。


さて、ここでは知能を7つに区分けしています。


1:音楽的知能
2:身体・運動的知能
3:論理・数学的知能
4:言語的知能
5:空間的知能
6:人間関係的知能


そして・・・7、
内省的知能


この内省的知能には意外でした。しかして、これこそが人間を人間らしく振る舞いさせ、人類が人類の問題を解く重要な知能と示しています。それにしても、7大知能の一つにして動物から最も遠い知能、内省的知能ですか。


■内省力と世界観
こういう仕事ですと雇われる単位は企業単位になります。マーケティング業務改善というのもを組織として、改善して欲しいという話です。


しかし、個人の成長がないところに組織の成長もありえないと自覚しています。ここがやっかいなので、マーケティング部門で雇われたときには個人面談を進んでさせてもらっています。会社が変わるというものは、個人の変容なしには限界があります。


人事による人材の入れ替えも大切ですが、抜本的ではありません。「学習する組織」とは流行の言葉ですが、学習するもしないも全て個人単位がベースです。個人にビジョンがない者が組織のビジョンを追及するというのには限界があるのです。


この仕事を通じて、月日とともに痛感するのは一人の人間の内省力です。ビジョンといっても「成功して幸せになる」とかであれば、自己完結度が高いただの妄想ですし、「社長になる」など世間的客観度が高いだけであれば、他に置き換えのきく魅力のないものです。


まずは世界観を持てないとそこから自分なりの役割(=ミッション)は降りてきません。役割も分からなければ、未来への道筋が不明です。道筋のない目標はただの呪文です。


では、個人が世界観を持つというのはどういうことなのでしょうか。今の自分に対して、生きてきた過去の記憶―生きていく未来への希望、心の奥にある内側の自分―他者との関係が成す外側の自分、「時間軸=過去、未来と空間軸=内面、外面」この4つを一枚の絵の中に描き切ることではないでしょうか。そして、そこでは内省の力が問われます。


山水画の如く風情ある地図を懐に携えている人もいれば、絵筆を握ったことさえない人もいます。多元的知能の格差ということになります。ならば、所得の二極分化よりも深遠で、切実です。

11月05日

◆先週火曜日、仕事帰りに六本木に立ち寄り、ビデオアート展「ビル・ヴィオラ: はつゆめ」を見てきました。心理学の勉強会で推薦されていたので、さて、どれほどのものなのかという好奇心に駆られて迷路のような六本木ヒルズに向かったのでした。


皆の感想どおり、「ヴェール」「ミレニアムの5天使」の二作品が秀逸でした。こちらの感情に葛藤を引き起こす印象深いものです。ナム・ジュン・パイクの影響を受けている作者ならではでしょうか。


帰路は、ヒルズの裏手から高級住宅地の元麻布をぶらぶら下りながら、麻布十番へ出て老舗の蕎麦屋永坂更科へ。学生の頃に友人から教わってからこっち、近所まで来ると立ち寄りますが、ご無沙汰久しいこの頃でした。長い年月、諸処揺れ動く出来事に揉まれながらもこうしてここにあるのは、やはり、のれんの力でしょう。


最近は美味い蕎麦屋が増えていますから、老舗とは言え、商売は甘くはないはずです。
でも、ここの蕎麦に付いて来る二種類のタレ、辛口と甘口は健在でした。辛口で蕎麦を食し、甘口を蕎麦湯で飲む、これが嬉しいんですね。


長生きしている商いの味をそのまま啜ってきました。


◆土曜日に所用があり、四谷三丁目まで出かけました。
会社員時代に何年間か四谷へ通勤し、よく知っているせいか、この界隈は好きな街です。昼時だったので、これまた久しく立ち寄っていなかったラーメンこうやへ。休みなのできっと地元の方々なのでしょうけど、混んでいました。


この店に感心するのは、核となるラーメンの中身、店のたたずまい、接客の間合いなどを変えることなく、常にバージョンアップを試みていることです。人気メニューも足したり引いたりしており、今回も新たに湯麺を発見しました。また、太麺と細麺の両方があったので、細麺を指定したら、細麺しかやってませんとのこと。人気のなかった太麺は引っ込めたわけですね。


ワンタン麺が表向きは評判ですが、実質は高菜麺がオススメです。油のこってり感が減りながら、いつもの味はキープしているという、ここでも精進を怠ってないようです。


長生きするための商いの極意をそのまま食べてきました。

11月01日

2006年度ラス前の月になりました。
あと半月は「馬肥ゆる仕事の秋」です。


■「ゆらぎ」考


「ゆらぎ感」とは二極対立の物の中を浮遊していると気がついたときに起こる感覚だと思っています。


例えば、自由と安定。自由は開放感と未来への興奮を与えてくれます。しかし、自由であればあるほどそこは不安定です。不安定だからこそ、選択範囲が広大なわけですが、一旦、不安を感じ始めると恐怖すら感じるようになります。


一方、安定は安らぎと今への納得を与えてくれます。でも、不自由がその代償です。四隅を固められているからこそ、ちょっと寄りかかっても足場が崩れることがないわけですが、一旦、不自由を感じ始めると窒息感から逃れられなくなります。


もっと極端な二項目は、生と死です。さすがにこの「ゆらぎ」は一生モノですから、市井の凡夫が語りえるものではありません。まさに、究極の「ゆらぎ」ですね。


最近、「ゆらぎ」を感じるのは、忙しさの方角がパターン化してきたことです。個人事務所ですから忙しければ収入は増えます。それ自体は悪いこととはいえません。特定のコンサルティング業務、定型化したセミナー、結果の読めるリサーチなどは、高い経験値で磨かれたスキルだからこその結果です。しかし、それも反対側から眺めれば、今度は反復による滞留を危惧しなければいけないゾーンに入ったとも捉えられます。


自信を再認する心地よさと、反復によって滞留することへの退屈さ、こんなところに「ゆらぎ」があるようです。そして「ゆらぎ」こそ、次への身の振り方へのサインなので、真摯に受け止めたいところですが、それこそ「ゆらぎ」に実態はなく、掴みようも扱いようもないのです。


もっとメタ(上位概念)な自分でなければ、二極対立を俯瞰できるはずもありません。なるほど、もどかしさにもっともがく必要があるわけです。きっと、この辺りが「ゆらぎ」を成長の基点として扱う所以なのでしょう。


忙しい日々へのささやくような警鐘です。

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