ヤスハラ・マーケティング・オフィスの近況

08月06日

外での仕事は週1-2日で、その他は子育て補助とカフェで執筆。家事手伝い=カジテツっていう略語あったけど、子育て手伝いって=コテツかな? 個人的にはガキテツって呼びたいな~w


■教育に向き合うこと。受験・進学・学歴競争の根源へ


今年になって教育と心理学をテーマにした勉強会に月一回参加しています。子どもを持つ身として実感するのは、「教育」という抽象度の高い単語に向き合うことがいかに少なかった人生だったかへの猛省です。


誰もが簡単に言える「教育」ですが、実際の使ってる範囲は「教育は大切だ」「教育がなってない」といったぐらいです。意味も曖昧で定義も亡羊としおり、真剣に向き合ったことがない人が大多数なのに、出現頻度が多いやっかいな言葉ですね。よって、全員の言う共通の「教育」というのは存在しませんから、やはり自分なりに「教育」を鋳造しておくのが大切なのでしょう。


勉強会で教わったのは、ほとんどの親が子供の教育について深く考えることなく、子どもの学校生活が始まってしまうという現状です。知らないことに人は恐怖心を感じます。「教育」に対する恐怖心を消し去るために「人の集まっているところに居れば安全だ」といった脊髄反射が起こり、これがますます不安を感じる人々を引き寄せてしまうわけです。よく分からないけど有名な学校に行けば間違いはないだろうという発想です。


ところが、事はそう簡単ではなかったのです。これは親側だけの現象ではなく教師側も実は「教育」という単語に対して恐怖心を抱いている、ということにもあるのです。教師は職業です。日々の生活を教育業で成り立たせています。教育を深く考え抜いたことのない親側のニーズを満たせないことがあっても、教育者としては問題がないでしょうが、サービス業としては失格となります。


このような職業的な不具合を危惧しがちな環境で働かねばならないのです。まずは手っ取り早くテストの点数の上下に焦点をあてることで、多数の親がしぶしぶ納得するであろう要求水準を満たし、生活の安心を担保します。こういうことが優先されていK職場では、「そもそも教育とは?」といった深い考察は面倒なものであり、たとえ思案していても封印してしまうほうが保身に適ったものとなるのです。


そのフィードバックは、教育への無知からくる恐怖を現状の教育の延長線上で消し去ろうとする親と、教員生活確保への恐怖を従来の踏襲された指導でまずは抑えようとする教師の間で共振を起こしていきます。


そして、受験競争に参加・加担しておけば何とかなるはすだ→なんとかならないのはもっと良い学歴が必要だからだ→良い学歴でも人生が良くならないとしたら、それは良い学歴ではなかったからだ、といった緩慢なパニックの底流を支えることになるのです。


小生もどこかで教育への無知に加担してきたはずなので、恐怖阻止を怠った者の一人であり、きつく言えば、加害者だったってことです。

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