ヤスハラ・マーケティング・オフィスの近況

01月31日

◆生活がスタート
長野の松本に引っ越してほぼ1週間です。評判通りの寒さです。明日の最低気温は-8度だって、すてき過ぎ・・・。



とりあえず晴れてくれれば景観に救われます。


◆スカイプでのコンサルティング
拙著「ブランディングの基本」をきっかけに、沖縄の会社とファシリテーション型のコンサルをスカイプ中心で行うことになりました。まだ実験段階という部分も含めご了承いただいてますが、結構いけそうな感じがしています。事前の通話テスト時、こちらは気温がほぼ0度に対して、那覇は25度越えでした。視覚的温度差に戸惑いますね。


◆新たな習慣
いくら寒いといっても防戦一方の生活もなんなんで、積極的に土地に絡んでいこうとしています。で、まずは地元の日帰り温泉へ。住居のロケーションが美ヶ原温泉郷のふもとということもあって、主だった温泉旅館まで車で5分以内となっています。東京で通っていた整体に代わる習慣にしようかと考えております。しかし、移動5分でも湯冷めしそうなほどの気候というのも皮肉ですな。


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【追記】

拙著「マーケティングの基本」(日本実業出版)が増刷になりました。細く長く5年で14刷です。ひとえに、皆様のご支持をいただき続けた結果です。ご購読いただいた方々に、深く御礼申し上げます。


01月16日

「長野・松本移転計画のお話・・・その2」


■仕事:今までの延長線上にはない話について


今回の松本への引っ越しで必ず聞かれる質問が「仕事はどうするの?」です。そして、いつも「どうしましょう?」と答えております。どうなるか分からないという前提で動いているからです。いや、本当に。


もちろん、オーナー企業との長い付き合いがある会社も3社あって、たまに東京に来ることになりそうですし、ネットを使ってサポートもしていく流れになっています。あとは幾ばくかの印税ですかね。ただ、その程度でして、あとは成り行きです。収入が低ければ収入に見合った生活に変えていくだけです。ほんとうに行き詰ったらまた東京周辺に帰ってきます。(だから、あんまり啖呵を切らないのですw)


そもそも今までの仕事、ファシリテーション型のマーケティングコンサルタントという生態は大企業という大組織でマーケティング計画を立てたり、ブランディング活動を企画したりするためのものです。これもある人から聞いた話ですが、世界的に大企業が集積している度合いが最も高い都市が東京なのです。ちなみに、次がパリ。大企業の絶対数が一番多いアメリカは都市分散しているので、これより下なのだそうです。もちろん、国内だけ見ても上場企業の約半分の本社が集中しています。


事実、ヤスハラ・マーケティング・オフィスも約70%が従業員千人以上の企業との業務実績だったわけですから、東京を離れる時点でビジネスモデルを変更せざるを得ないのは当然ですわな。


■展開:これからの予定について


とはいえ、仕事に置き換わるビッグ・プロジェクトも持っています。やはり、そうこなくっちゃ、と思われる方々もおられることでしょう。これが何かと言いますと「髪結いの亭主プロジェクト」です! 


は?、と思われる方々がほとんどと予想されますので、解説します。この「髪結いの亭主」とは、相方である奥さんにフリーランスとして自立してもらい、亭主である夫はそれをサポートしながら自堕落な生活を目指す、というものなのです。


特に、髪結いという表記がポイントです。まあ起業でもいいのですが、とにかく、自分ですべての決定権を持つ仕事をしてもらいます。フリーランスはこの典型です。これがプロジェクトのゴール。現時点での候補は・・・うちの相方はパン作りに入れ込んでいます。よって、この延長でパン屋・パン教室・パン作りでセラピー、パン作りで占いとか・・・、なんでありなのだが、何か職業として生計を支えてもらうことが眼目となっております。


一方、その旦那はどうなるかと言いますと、宿六(やどろく=語源は「宿の碌でなし」)となるわけです。これこそが裏の目的であり、個人的には本心なのです。今回の移転は宿六実現のためにルビコンの川を渡ること、これが「髪結いの亭主プロジェクト」の第一フェーズなわけですよ。


今後の展開予想ですが、これは全くの不明です。時間的には子供が小学校に上がるまでの3年間が第一フェーズになることは確実で、そこでの生活体験から次の展開に向かっていきます。それまでに新たな流れを見つけられるかどうか?果たして宿六になれるのか?乞うご期待!


とにもかくにも、流されていきましょう。
Go with the flow

01月01日

あけましておめでとうございます。
本年も皆さんにとって意義深い一年でありますように。



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「長野・松本移転計画のお話・・・その1」


■時期:まずはタイミングが2015年になったことについて


会社員生活が合計で15年、フリーランスとなってコンサルタント生活が15年、そして、その15年という区切りが2014年―2015年なのです。この周期を意識することは人生観のようなものなのです。不思議と狙ってなくても周囲の環境が「そうしなさい」という状態になっていくのです。ですから、この仕事を始めた15年前から、きっと次は何か別のことをやるのだろう、そのうちどこかに引っ越すかもしれない、などと考えておりました。


子供が2015年春から幼稚園のタイミングとなっているのも一因です。住んでいる世田谷区は住みやすいエリアではありますが、正直なところ、子どもを育てていくには少々空間的に狭く、精神的に慌ただしい場所です。23区全般がそうなのか、大都市が全てそうなのかもしれません。いずれにせよ、仮説としてそろそろ離れる方が良い気運だと感じていました。


そんなこんなで、長野の周辺を下見がてら旅行し始めたのが2014年秋だったのです。とはいえ、まさかこんなに急展開するとも思ってなかったところもあるのです。おまけに、もっとも寒い時期に引っ越しとは・・・、まあ、本当に住めるほどの覚悟があるかどうかを試されているのでしょう。表題の計画には程遠いなりゆきに身を任せた引っ越しですな。


知人いわく・・・、「すること」のための条件が揃うことより、「しないこと」の理由が揃う方が早いのが人生だ。できそうな状態は既に「すること」を意味している。逡巡すれば、すぐにでもできない理由が集まってくる、・・・とのこと。けだし箴言です。


■場所:移転先が長野の松本になったことについて


 そもそも、東京から移住する先は東京以外すべてが候補でした。独身の頃はオーストラリアなど海外も考えていましたし、子どもがいない夫婦だった頃は沖縄や京都といった具合です。しかし、子どもも含めた家族となると、やはり相方(奥さん)の実家が長野の上田ということもあって、生活拠点という視点が強くなったということです。


 それ以外に選択条件となった項目は3つ。


①都市の規模
人から教えてもらった知識ですが、最適規模の都市の大きさは30万人前後の人口だという話があります。これ以上小さいと医療と教育での充足度が落ち、これ以上大きいと自然が減っていくというマジックナンバーです。ちなみに松本市は24万人。世田谷区は88万人、エライとこ住んでたね(笑)


②県庁所在地ではない
これも重要です。どこの都道府県も官庁が中心だと似たりよったりの街になってしまうと感じています。よって、大きな範囲が長野県で、安曇野市、松本市、東御市、上田市の順に候補としておりました。ついでながら、新幹線沿線も没個性の現象が起きやすいようです。どこも顧客ターゲットを東京の人に設定しちゃうから同じ香りになっていくという持論を持っております。


③うっすらとでも縁がある
結果的に、これが大きかったのかもしれません。相方の実家の遠縁の家族が松本市内に住んでいて、話を伺えたことがかなり背中を押してくれています。「松本はチベットみたいなもんだよ」と自嘲気味に話してましたが、それも魅力だったりして。自分にとって東京周辺(神奈川県の川崎市、相模原市を含めて)を離れるのは、会社員時代の名古屋が2年、短期留学したロンドンが2か月、立命館アジア太平洋大学で教えた別府が累計2か月、ぐらいなもんですから、いくら強い意志があっても不安は拭いきれないのです。そうなると、こういった人との出会いに勇気づけられることは大きな意味を持ちます。


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今後もどのように流れていくかは不明ですが、流されていきましょう。


Go with the flow.

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