ヤスハラ・マーケティング・オフィスの近況

10月11日

少しづつ生活が落ち着いてきましたので、今月末より定期の東京出張を再開します。あー都会が恋しい(嘘)w


■ボーダーレスの流れにあるときの身の処し方・・・その2


そもそも境界ってなんなんだろうか?


境界があるということは内と外の違いを意識することにほかなりません。学歴、会社、国籍、などなど、貴方が他者と自分を区分けする重要な属性だと思えば思うほどボーダーが存在します。重要と思わなければ消えます。つまり、意識させてしまう存在がボーダーになります。ですから、ボーダーレスは意識が低くなる方向へ、反ボーダーレス化はそれに抗う意識が高まることでボーダーを強化しようとする現象と言えます。


で、まずはボーダーという境界線そのものについて。


空港や駅の待合室などで、ひょんなことから見知らぬ隣の人と話し始めることってありますよね。たわいのない話しの中で、相手がメチャ有名な組織の幹部クラスの人だと分かったとき、急に自分の口調が変わってしまいませんか? 自分はしょっちゅうです。肩書きから相手と自分の間にボーダーを引いてしまうことでできた非対称な関係ですね。「あなた偉い人、私そうでもない人」の分岐ということになりそうですけど、単に、こちら側が勝手に意識して作った「人意的な線」なのです。


まず、この「人意的な線」というのがキモです。最初は誰かが引いた線でも、みんながその線を意識し始め、何度も境界線の名を耳にしたり、語ってみたりすると、どんどんその線がまるで以前からある山や湖の物理的な存在のように、私たちの前に見えるかのごとく立ち現れてくるのです。あなたも私もボーダー作りに加担しています。共犯関係なのです。


学歴で考えてみましょうか。あたなが「東大が日本の大学の頂点」だと知ったのはいつですかね。生まれてすぐに? 小学校ぐらい? 高校ぐらい? 進学の話しに触れるたびに、東大というボーダーが意識され、徐々にそこに境界線を見るようになったのではないでしょうか。「ハーバードが世界の大学の頂点」(本当かどうかは知らないけどw)というイメージに至っては最近ではないですか。いつのまにかハーバード出身ですとか言われると、凄いですね!とか脊髄反射してしまうのも、明らかに人意的なのです。


これまた余談。「もう東大(ハーバードでもいいけど)は、たいしたことない!」とか誰かにディスられると、境界線を意識している内側の人ほど、安定しているはずのボーダーが振動して、その不快感にムカッときます。当然です。まぁ、ディスる人も強烈に外側から境界線を意識していますけどねw。こちらも境界線が気になってしょうがない訳です。そうやって、やり取りがあればあるほど境界線は生き生きとした盛り土になって、ボーダーが強化されていきます。人々からの羨望、嫉妬もボーダーに貢献しているのです。そして、この延長線上にある大型版がナショナリズムってわけですね。


私たちの頭の中を幾重にも区分けする境界線には以下のような特徴があります。


1) 境界線は人の意識、人意的であること。
「いい大学を出て、いい会社に勤めることは、いい生活」のような惹句が、市民権を得るぐらい流布する現象は私たちが支えている


2) 境界線ごとに濃度が異なること。
人意が集まれば集まるほど、累積すればするほど境界線は色が濃くなり、遠くからも目立つようになっていく。加速度的に人意を集め易いため、境界の輪郭で括られる面積は大きくなる。最終的には、その境界線自体に気がつけないほど空気のような存在=棄却できないものになる。


「会社の名刺を出すたび、会社勤務を褒められるたび、会社の悪口を聞くたび」会社への帰属が濃い境界線になる。境界内にいる誇らしさは、そこからの離脱の難しさを同時に生む。


3) 境界線内には独自の文脈ができやすいこと
境界線が濃くなれば内側からのコントロールしやすくなるので、内と外での情報の非対称を起こすことができる。この頻度が起きるほど境界は高くなる。出入りがしにくくなって、ますます情報の非対称、内側だけの文脈と論理が域内流通する。


「社内での出世パターンを知れば知るほど、会社自体の悪口を同僚とすればするほど」内側から眺める会社が世界の全てに見えてくる。境界線は水平線であり、その向こうは誰も帰ってこれない崖になっている。


自分の場合もサラリーマンを15年ぐらいやったので、いつの間にか、勤務している会社側と外側の間にボーダーラインを勝手に感じて生きてしまった(育ってしまった?)クチです。ですから、年数を経るに沿って境界線がどんどん高くなって、いざ会社を辞めて独立しようと思った時、内面からの抵抗感はメチャありました。


「この境界線を越えていいのか、自分?。」という、まるで責め苦のようなものを振り切るのにはかなりエネルギーが必要だったのです。はたから見れば、滑稽な一人芝居ですけど、本人にとっては生き死に匹敵するような出来事だったのです。まぁ、今だから言えるのではあるがw


上記の特徴から眺めるなら、この世界が精巧で緻密な天然の絵画ではなく、単なるホワイトボードに書かれた手書きの線だらけなのが分かります。ただ、みんな(自分も含め)が何度も上塗りして書いたマーカーの線なのでちょっと固化していて拭き取るのに手間がかかるというだけなのです。濡れ雑巾で丁寧に拭いてやれば、まっさらな白板でしかないのです。


ボーダーレスの潮流に境界を引く話、少々引っ張っていく様相になってきましたが、ボーダーの消し方がわかれば、書き方の原理も分かったことになります。この続きもまた次回に。

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