ヤスハラ・マーケティング・オフィスの近況

02月26日

ここ2週間の仕事で、さずがに疲労が溜まっております。土曜日は休養。日曜日は体力立て直しということで、朝のテニスです。


スクールに去年から通い始めました。五年前くらいまで継続してやっていたので復活組です。腰回りの肉も落ち加減で、少し筋力が付いてきたかなと思ってます。



まあ、週一回なので上達のほどはしれております。ウィンブルドンでシャラポアとミックス・ダブルスに出るという夢も叶いそうにありませんなあ。


さて、今週は仕事ラッシュ3週の最終週となっております。おまけに育児や月末の請求書発送などの諸事もあり、ちょっと大変です。でも、3月はほぼ理想のペース(外勤週2日~3日)に戻れるようなので、それを心の支えに乗り切りましょう。

02月17日

今週は、ネット通販コンサル、定量調査結果報告会、管理職向けマーケティング研修、B2Bメーカーコンサル、温泉旅館コンサル、Webコミュニケーションコンサル、新商品アイデア会議ファシリテーター、ってな感じでして、月-金をあっちゃこっちゃ行っとります。


ということで、来週も、既存ブランドコミュニケーション会議ファシリテーター、消費財ブランドコンサル、新市場開拓コンサル、社内研修事前打ち合わせ、マーケティング公開セミナー、ってな感じで、やはり月-金をあっちゃこっちゃ行きます。


マーケティング・コンサルタントって響きには何屋か不明な怪しさがありますが、おもいっきりベタでいっております。

02月10日

新規案件が入ってくるために、来週からの3週間は業務立てこんおります。


随分とこの仕事にも慣れたはずなのですが、やはり新規のお仕事の初日は緊張します。終わった後はフル回転した脳の余熱でポッとしてます。真冬に向いてますね(笑)。


お互いが早く信頼し合え、積極的に本音で向き合える関係を目指すので、質問をしながらひたすら傾聴に徹します。結局、喋ることより聞くことの方がエネルギーを使うんですよ。


■エコ・コミュニケーション


建前と本音の使い分け大国だった日本も変わりつつあります。ネット普及で建前が瓦解していくというか、本音のスピード感がそれを上回っているからです。また、建前にも価値があった(今でも一定の役割はある)が、それを支える建前維持の負荷が上昇していることもあります。


では、「タテマエ価値=建前でコミュニケーションすることのメリット」と「タテマエ投資=建前を作る・支えることの労力」に分解してみます。そして、「ホンネ=素の状態なので価値と投資は一致している」として単純化し、これらの相対関係がどうなっているかで、最近のコミュニケーション事例も交えて考察してみましょう。


・タテマエ価値-タテマエ投資>ホンネ
古き良きの日本から延々と続いた文化の背景にあるのは何と行ってもタテマエ価値が高かったことにあります。「かくあるべき」論が成立しやすかった時代はピラミッド状になった権威が社会を安定させます。ただし、タテマエ投資にも潤沢なお金や労力が必要だったので、タテマエ価値をマネタイズする仕組みが必要です。


【事例】原発事業の広報活動。
今となっては、なんだか壊れた冷却装置に似ているような・・・


・タテマエ価値-タテマエ投資≒ホンネ
経済状況が怪しくなってくるとタテマエ投資に耐えられなくなってくる組織や人が出てきます。ホンネで勝負と言うより、「もう格好つけてられない、勘弁してくださいモード」が実態にコミュニケーションを合わせようとする動機になります。


【事例】岩波書店の縁故求人宣言。
出版の縮小均衡を読み取ってくださいというメッセージか?


・タテマエ価値-タテマエ投資<ホンネ
ネット世界ならではと言えますが、メディア・コストが限りなくゼロに近づくと、タテマエ価値をホンネが上回ってしまう現象が起きます。少数の権威よりみんなの実体験こそ価値があるというホンネの集大成にタテマエが掻き消されてしまうということです。


【事例】Facebookのイイネ・ボタン。
イイネを押してもらえないのではないかという恐怖でホンネが書けないという人もいるけど


・擬似ホンネ価値-タテマエ投資<<ホンネ
ついでながら、タテマエが駆逐されるとホンネをコントロールしたいという欲求は新しい動きに向かいます。擬似ホンネを作っていこうという行動です。正確にはホンネちっくなタテマエですけどね。一瞬は成立してもホンネに駆逐されてしまうので、バレた時の反動も厳しく、作った価値が投資を上回ることは稀です。


【事例】食べログのクチコミ・スコア
サクラ・マーケティング(苦笑)


コミュニケーションもエコに向かっていますね。ただし、エコも入れ込みすぎると疲れるので、そのうちホンネ疲れのホンネが噴出し、タテマエ価値が復権する分野もでてくるでしょう。タテマエばればれだけどそれでいいっすよ、みたいな感じです。コミュニケーションのコモディティ化とも言えそうです。


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02月02日

2月となりました。
風邪でダウンされる方が周囲にも増えております。ご自愛ください。


最近はクライアントからの一瞬考えさせられるような質問が多くなってきている気がします。己の平素の精進ぶりが試されてますな。


■意味の入る器


まずは「意味が分かる」とは・・・・


意味とは何であるかというと、一つのものと、もう一つの大きな、その離れているところのもの、すなわち部分というものと全体というものとの関係がつくというところに、意味が分かるということになるのである。
(「禅とは何か」鈴木大拙、より抜粋)


まあ、こんな定義から入ってみるとして、或る人にとって記号が情報になるには最低でもその人が分かるという状態が必要です。それが何か内側の既存知識の一つと繋がって初めて記号が情報となります。ここで「分かった」の最小単位が成立するわけです。「分かる」の前半ですね。


「大きな音がした(記号)」→「いつもの生活(既存知識)」→「いつもの生活にない状況(情報)」


では、情報が知識となるにはどうかというと、少なくとも複数の情報と既存知識が繋がった時に新しい知識となります。やっと「分かる」が完結し、意味として今までの意味群に加わります。


「いつもの生活にない状況(情報)」→「音の発生現場を見る(情報・その2)」→「過去見てきた事故(既存知識・その2)」→「事故の種類と大きな音の種類の特徴(知識)」


「分かる」の結晶化=記号の情報化、「分かる」の鉱脈化=情報の知識化で、意味になっていくわけです。子供にとって政治や経済の話が記号のまま終わってしまい、スルーされていくのは結晶化ができないからですし、大人でさえ先の原発事故では「分かる」の結晶化に手間取り、鉱脈化も作業中といった感じでしょう。


まず、私たちの周囲の情報過多な世界、検索すれば検索しただけ記号が目に入ってきて、情報化を強制されてしまうような日常ではどうも「分かる」の結晶化の作業でいっぱいいっぱいのようです。実は知識になってないままで「分かった」にしていることがいかに多いかってことですね。


望ましいプロセスは、新しい「分かる」が既存の「分かる」を増幅させ、意味の器を広げてくれ、この器が大きければまた記号→情報→知識の道筋が多様になることです。ただし、複数の線で情報と知識を結びつけるには少し時間と手間がかかります。


小難しくこねくり回しましたけど、結局は意味精製の時間と手間を惜しむなってことですな。

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