下の子が熱性けいれんで一週間の入院。相方は上の子の卒園の係りで奔走、小生は風邪を悪化させ喘息気味という試練の日々でございました。やっと復活で、近所の露天風呂へ。なんとか無事、春分の日を迎えることができました。ありがとうございます!
◆「先生と呼ばないで」の理由を再考する
独立してこの方、コンサルとしてのちょっとしたポリシーではありますが、クライアント側から「先生」とよばないようにしてもらっております。お互い「さん」付けで呼ぶようにしてるのです。もちろん、目的はあります。お互いが対等であることが、突っ込んだやりとりにいけるということ。
二つに分解すると、自分が先生という名称を意識しすぎて、間違いを犯すことを恐れてしまうこと(コンサル側への影響)と、相手が先生であることを意識しすぎて、メンバーが自分の発言を丸めてしまうこと(クライアント側への影響)、です。
この話は昔からしていました。従って、小生もずーっと「先生と呼ばないで」の理由がここにあると思っておりました。しかし、最近・・・・どうも、真の目的はもっと奥の方にあったのだ!と気がつきました。
それは、「ユーモアの効きを良くするため」です。ユーモアは出し手と受け手の軽妙さで質の高さが決まるのです。お互いが対等な関係であることが強調されているなら、胸襟も開きがちというものです。
典型的な場面・・・
プロジェクトのファシリテーションをしていると、最終的には経営層へのプレゼンテーションという形になることが多いものです。外部のコンサルを雇っているような案件ですから、全社的な期待や好奇、時には嫉妬?、も集まっていたりします。最終提案に臨むメンバーのプレッシャーが高めになるのは無理からぬ話です。そんなプレゼン直前。緊張感がこちらにも伝わってくるような場面では、コンサルにできるようなことはもうありません。
そんな時・・・
「御社では、緊張すればするほど給料が上がるような給与体系でしたっけ?」なーんて軽口が、彼ら彼女らをちょっとニヤッとさせたりします。
で、笑ったことを確認してから・・・
「僕は、緊張は報酬の一部だと思ってるんですよ。それだけ重要な案件に関わっている証拠ですからね。緊張すればするほどコンサルの経験値が上がるなんて、いい商売でしょ?」なーんて箴言っぽさで、彼ら彼女らをもう一回ニヤっとさせるわけですな。
もうこれ以上、伝えられることはない状態から、もう一歩踏み込んで伝える技こそユーモアではないかと。そして、ユーモアの切れ味は内容が10%ぐらいで、掛け合いの妙が90%ではないかと思っております。掛け合える関わり合いが大切な職場では、「先生」という呼称はちょっと不粋なんですね。
我ながら、「ふーん、こんな実利で自分は主張してたのね」と回顧しております。