ヤスハラ・マーケティング・オフィスの近況

05月11日

信州松本の5月といえば、やはりクラフトフェアです。プロダクトの反対語がクラフトだそうです。4Pとか語ってる輩には紺屋の白袴なんだけど、手仕事好きです。


とは言え、一品ものの芸術作品にまでなってしまうと、普段使いができるような値段にはなりません。小生にとって、この量と質の合間は生活にとって結構重要なのでした。もしかすると、アートの反対語もクラフトなのかもしれません。プロダクトークラフトーアート、ここでも中庸に惹かれます。


◾️義務教育、公立であること、そしてAI


上の子が小学一年生になって、1ヶ月が過ぎました。これを契機に、トーチャンは50年ぶりに小学校と向き合うことになったのでした。で、びっくりするほど50年前と変わらない学校の様子にびっくりしました。そもそも、友人知人に教育関係で働いている人が多く、よく「学校教育を変える必要がある」という発言を耳にしてました。そういうことなのね。むしろ、よくぞここまで継続できたことが不思議なくらいですかね。


昨今は、新しい教育の形を具体化するように「・・・ラーニング」とか「・・・・教育」とかを旗にした学校や教育カリキュラムがあちらこちらから出てきています。そうでしょう、そうでしょう、そうなるでしょう、っていった感じです。だからと言って、別に、「文部科学省が悪いのだ!」みたいなことを言いたいのではないのです。むしろ、50年前の教育はかなり時代(生活・社会・経済・文化)に適応してたように思います。ただ、そのあとは過剰適応が仇となった周回遅れの50年を迎えているように見えます。


相変わらずの一律一斉授業が基本です。思考中心・好奇心先行・関係性からの相互学習などなど、こういった手間のかかりそうな時代変化の取り込みは厳しそうです。そうなると手間をお金で吸収できる私学は、親から見た手っ取り早い選択肢ですね。ああ、そこで経済格差と教育格差がリンクするわけなのかと腑に落ちました。


さて、一方で不登校の子供も増えているようです。まあ、%はマイナーですけど、ちょくちょく周囲でも耳にします。こういった公立の学校では、なかなか一人一人の生徒にカスタマイズする教育はできないのです。ウチの子も、ひらがなの書き方を全員で一文字づつ学ぶスタイルに不平を申しておりました。学びのリズムの個人差が無視されているのが不満のようです。娘のノートを眺めると、「り」を反転して書いてたりするけど・・・。まあ、こういったもどかしさは自分の時もあったけどさ。


でも、あれから50年経っています。その間に学ぶことが望ましい学習コンテンツは格段に増えています。同時に、ネット世界のおかげで、知識の記憶から思考への組み立て重視へと、人に求められる賢さがシフトしています。必然的に、先生が生徒を教室で黒板を使って知識をつたえる、いわゆる授業形式はとうに耐用年数を超えてしまったのです。なんか、古くなった機械の不具合を輪ゴムでなんとかしている感じが哀しい。


あれもこれもと教える内容が増えていくわけですから、特に、教職員の業務は大変です。これもよく聞いていた話なので驚きはないですが、仕事のブラックさを直接見聞きすると同じ働く者として同情を禁じ得ないです。国家公務員の職場もひどいよって話(友人談)ですから、公務員全般に言えるのでしょうか?


子供の学校では1教室30人です。例えば、これを7−8人のグループワーク主体にした討議中心の教育にするには、最低でも四分の一ぐらいに教職員の労働負荷を減らす必要があります。まずは、教職員のリソースを確保できなければ、「・・・・ラーニング」も「・・・・教育」も取り込みようがないのです。


ですから、遅かれ早かれAIによる機械学習は導入するようになるでしょう。それがPCなのかウエアラブルのガジェットなのかスマートスピーカーっぽいのかは分かりませんが、「り」の書き方を学ぶなら、フレンドリーな画面との対話で十分です。AIであれば個々人の間違いや癖、その修正方法を最適化しますから、学習リズムもこなれてきます。おまけに、全国の公立小学校のデータによって常に指導方法がバージョンアップするので、50年後も同じ画面っていうこともないはずです。


AIによる教育が人による教育と決定的に違うのは、AIは質と量の両方を同時に上げるものというのがあります。人による活動は質をとると量が失われます。そして、量をとると質が失われるのです。減ってしまった量(生徒数)をカバーするにも、減ってしまった質(学習内容)をカバーするにも、人海戦術しかない場合はお金で解決!、ということになります。税金投入のために増税?、自己負担で経済格差の容認?・・・まあ、避けたいところですね・・・、あなたは?。


AIは、学習機会という量が増えれば増えるほどそのサンプル数が教え方という質を高めてくれます。そう、正比例の関係が人にはなかった魅力なのです。ましてや、向かい風にいる公立学校はその生徒数にアドバンテージすらあるのだった。


教職員が教育カリキュラムと日々の学校業務に振り回され、ついには自ら思考する機会を喪失している中、「子供に思考力をつけてもらおう!」っていうのはブラックジョークでしかありません。まずは、AIでその余力を生み、「思考力をつけよう!、にはどうすればいいのかな?」という問いに率先して取り組むのがよろしいかと・・・。


でも大丈夫! ほっといてもそうなるからね。ただ、上の子が在学の間には無理かもね。せめて下の子の時には間に合って欲しいなと切に願うトーチャンなのであった。


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