ヤスハラ・マーケティング・オフィスの近況

03月23日

先日、5歳の娘から厳しく叱られました。「私を寝かしつけるときに、先に寝ないで!」。ごもっともです。仕事のできない父親で、ごめんな。


たとえ寝落ちしてたとしても、読み聞かせのための1000冊を目標にした、絵本の借り出し活動は継続中です。「画だけでも楽しめる」で選定していますので、ストーリーの巧拙は問わない主義ではありますが、こうやって冊数を重ねてくるとなかなか話もよくできた本に出会います。


以下、その代表的なもの3冊です。いずれも所有する価値がありそうなので、備忘録も兼ねて。


◾️「ひみつのいもうと」

絵も書き込みがうまく、奥行きがあります。子供にとっての大河ドラマな展開でしょう。ユーモアをまぶした爽やかな本。


◾️「リディアのガーデニング」

建築のパース絵のような画風に、緻密な設計図面を思わせるストーリーの展開。全体構成の完成度がめちゃ高いですな。一方で、泣ける部分も計算されてます。強いて言えば、爽やかすぎる?(やっかみか?)


◾️「オオカミと石のスープ」

こちらは格好良すぎるドラマ仕立ての絵本。淡々とした画面がドキドキさせ、戯曲のようなセリフが謎を掻き立てる構成です。最初に読んだときには、まったく筋がつかめませんでした。大人に二度読みをさせる絵本とは、やりますな。


春休みになると、50過ぎの父は体力的にも大変なのです。おまけに、360度評価に晒されてたりするし。w

03月08日

先週は二泊三日、東京弾丸ツアーでした。まあ、弾丸という割に特急あずさは少々のどかなマイナー列車なのだが。


今回は4社。定期2社、不定期1社、新規というか復活が1社。昔に長くお付き合いのあったクライアントからの依頼を受けたのが、この復活というやつです。


信州松本へ移住してから生活優先を貫き、定期のコンサルは日程調整などで自由度の高いオーナー系の企業のみということにし、、大企業の業務はすべてやめさせてもらいました。しかし今回、どうしてもという懇願に折れ、プロジェクトのファシリテーションを引き受けることになったのでした。


先方曰く、「無理を承知でお願いしたいのは、自社の状況や事業部の特性、それに、企業文化風土も熟知した人でないと仕留められない案件と判断したから」、とのことです。つまり、これらの説明コストを考えると、10年以上も付き合いのあったコンサルタントは事前の時間と手間が最もかからないのでコスパ最高の適任者!、という意味ですね(笑)。


◾「学び」のKPI


二人の子持ちになって、だんだんと学ぶとか教えるっていうことを体感レベルで向き合う日々になっております。「教育の目的とは?」なんて、硬くて四角くて青い問いを漫然と考えるんですが、いろいろな方々の定義などを参照するにつけ、どうも「教育の目的は任意」らしいと観念いたしました。


つまり、よーわからんけど大切な気がしてしかたがないのが教育、ということのようです。ああ、それで皆んな何かことが起きるたびに、それが社会だろうと企業であろうと家庭であろうと、「教育が問題だ!」と井戸に石を投げ込むように糾弾しては責任のやり場を霧消させるわけなのかあ、などと無責任な解釈をさせていただいております。


さてそこで、歯応えがありすぎる教育を「教える」と「学ぶ」に分解して、学ぶに関してのみ焦点をあてます。実は、「学ぶ」ことの目的は教育と同様任意だとしても、KPI(Key Performance Indicator)は存在すると思っております。


それは「独学コストが下がっていく」(独学コスト効率)ということです。


※知人の鬼頭政人さん(資格スクエアを起業した社長)が、資格や受験に特化してはおりますが、独学力を提唱しており、ここにヒントを得ております。


ネットで優良な教育関連のコンテンツがどんどん無償化されていく中、なぜか、親の収入格差と子の教育格差の関連が指摘されることを多く見かけるようになりました。学ぼうと思えば、いくらでも安価に学ぶための素材はあるはずです。それも加速度的に増えているにもかかわらずです。


「教育にお金がかかる」というのは、あくまでも学校教育という集合体での学びを意味しており、この「学びたい者はいくらでも学べる時代」とは一線を画しています。確かに、集団での学びにも意味があるはずなので、そこを否定することは避けるとして、独学によって得る新たな知見が、そのために投下される時間・費用・労力すべてが下がっていく中で実現されるのは、時代に沿った望ましいプロセスといえるのではないでしょうか。


極論すると、「独学するほど、次の独学が容易になっていく仕組みを自らが備えている」。これを「学び」の進捗を測るひとつとしようということです。


だから、より高度な教育には高い専門性を持った教師を揃えるので、多大な教育費用の負担が受益者には必要だ、という論法は、学歴的には正論ですが(出世を決めるカードゲームではOK!)、「学び」的にはあまり筋の良い方角とは言えない気がしてならないのです。


父は当座、この「学び」のKPIである「独学するほど、次の独学が容易になっていく」を目安に子供の教育を探っていこうかなと思っておるのです。


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