ヤスハラ・マーケティング・オフィスの近況

11月09日

◆ともかく最近はチャートばかり書いている。描いているという方が正しい。業務が全面的にZOOMに切り替わったおかげでもあるのだが、図表がアジェンダになって、ホワイトボードのフォーマットになって、おまけに、議事録にもなるのだった。累積していくチャートは徐々に平面から立像をなすが如く、漸増していく。弊社はプロジェクトが「不要不急ながら、骨太なテーマ」が主流なので、案件ごとの対象期間がメチャ長いのだ。骨太とは、でかいテーマを風呂敷にして、何もないところから包み込む中身を創るといった仕事の類だ。問いにメンバーが答えながら、濃霧に覆われた目的の核心に近づいていく。もう、図解とは言い難く、図問と呼びたいところだ。なぜか、この手のお題を11月は4件ほど抱えている。今日も謎が新たな課題を、課題が新たな謎をチャートの中で立ち現れてくるのだった。


図問
<問いのための図解を図問と呼んでみる>


◆先週、家族で富山県は黒部の宇奈月温泉に行った。下の男の子の電車好きに応えることも兼ねて、紅葉の渓谷をトロッコ列車に乗ろうという話だ。トロッコ列車も終わって、温泉街を散策するときに、上の娘が「温泉街はたいくつだー」を連呼する。そこで、将来パティシエになりたいと言うのに掛けて、「じゃあ、この温泉街でオリジナルのスイーツを創るとしたら、どんな店で、どんな商品ならいいか想像してみてよ」と突っ込んだ。いたくこれが刺さったらしく、今度は一転して、うむうむといいながら街の観察とおみやげ物屋のチェックをし始めた。学びの源泉は興味関心しかない、ってことなのだろう。


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<旅で何を学べるかも興味次第>


◆月に一回、松本市の四賀地区ある古刹「洞光寺」お借りして瞑想会をしている。事務局として手伝っている感じだが、個人的には自分のためにあるような会だと思っている。ともかく、この会の流儀では、参加者が自由に座っていいのだ。信州松本にもいくつか座禅会を催す禅寺があり、参加してきた。そもそも禅の核心は不立文字なので、瞑想への説明がミニマム以下なのが、いつも残念に思う。曹洞宗だと「調身・調息・調心」でくるっとまとめて、あとは座りましょう!、みたいな潔さなのだ。いつも一人か二人は初心者が来られる。その戸惑う様子に少しでも寄り添えればと、サマタ瞑想やヴィッパサナー瞑想を説明するが、これもフレンドリーとは言い難い。模索は続く。


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<お寺の真言宗八祖の屏風絵は何を語るのか?>

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