ヤスハラ・マーケティング・オフィスの近況

04月21日

<才能と能力について>


誰もが複数の才能を持っていて、それを選んで・組み合わせ・束ねて一つの能力にすることで、世間の中に価値を生み出す。これを人の営みと呼ぶのではないか、そう思っております。そして、年をとればとるほど、ますますそう思わせることに出会うのです。


才能は単体では価値を生み出すところまで行けません。流転していく世間から泡のように湧き上がってくる人様の欲求を掬うためには、バラバラな才能を一つの能力に昇華させる必要があります。人様の欲求を掬える人と掬えない人がいるなら、それは才能の有無ではないのです。既にある手持ちの才能を編み上げて、その時と場に合った能力にまで縫製できるかどうかによるのではないでしょうか。


人が成長するとは、才能に気づき、世間を眺めながら、幾つかの才能を糸として選びながら、能力の織物に編み上げる過程だと思えます。ただし、編み物は時と場所を選びます。夏用、冬用やアウトドア用やパーティ仕様があるように、最適の能力は都度、限られてます。輝かしく能力を発揮すればするほど、色あせていく時勢は早く来ます。カクテルドレスで登山を強いるかのように。


世間が万物流転の別称なら、ある輝いた能力も同様に変わっていくことが求められます。編み直す訳です。糸を丁寧にほぐし、才能をメンテナンスします。そして、もう一度、あれこれとどんなデザインがいいかな?とか考えながら、幾つかの才能を新たな別の能力にしていきます。以前やったようにチクチクやるのです。それが、一生の学びでもあり、人に課せられた進化なのでしょう。そこに終わりはなさそうです。


でも、大丈夫。才能は手元にあります。ほつれてなければ使えます。いや、まだ使ってない糸玉でさえ見つかるかもしれません。

04月08日

東京の世田谷から信州の松本に引っ越して遂に7年目に突入です。自分は完全なIターンってやつなので、感慨深いです。人生史の10%以上をこの地での生活が占めるようになるとは・・・。ちなみに、相方は長野の上田出身なのでVターン(近隣への帰郷)です。


ここに来たのは、ひとえに子供の存在です。今でも思い出しますが、上の子が幼稚園・保育園への入園準備の年に、世田谷では希望の園にはまず入れない、という状況。そして、近所の小さい子が道路でボール遊びする姿を眺めて、ここで子供が遊ぶのかあという微妙な気分。


確か、移住の半年前で、10月30日です。「長野でどこか探そう!」と決意しました。世田谷での入園を完全に諦めた日でもあります。で、松本、安曇野、東御とかを候補に家族で下見旅行が始まったのでした。


ふと思うのは、子供がいなければここに移住することはなかっただろうってことです。もし、夫婦だけならきっと今頃は東京とどこかの2拠点になっていたと思われます。場所は長野でも軽井沢とかだろうか?、富山県の市内、福岡の博多周辺なんかもあったかも知れないです。あとハワイとかね(さすがにないか?)。交通の便優先なので、新幹線と飛行機が前提な選定でしょうなw。


もっと妄想するに、独身だったら間違いなく東京の中だけでウロウロしていたはずです。そもそも世田谷も住まなかったし、独身時代最後の地、あの中目黒のままでいたような気がします。ルーティーンワークのように夜な夜な街中を徘徊するのです。で、もう飽きた、とか言って代々木上原とか神楽坂とか駒込あたりを4−5年で引っ越していくパターンでしょうかねw。


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いやはや、ずいぶん遠くに来たものです。距離だけでなく、生活も。そして、人生観そのものも。最も強烈な他者が子供なのかもしれない。親という役割は、その人の変容をブーストさせるパッケージですね、もちろん、良し悪しは問わず。

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